鍵丸一二のこれだけはやっておきたいぶろぐ

ニート歴10年がやってみたかったを全力でやるブログです。

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かつて中毒だったもの(脱却した後の話も少し)

 

先の日にTwitter 上にて、

 

随分と良心的な価格でBlender の講義をなさっている御仁に、コーヒーについての質問を受けて答えた所、どうやら先方を落胆させてしまったかしれない事があった。

 

今の私では無理だったが、まだそれを体が受け付けていられた時分であったなら、

むしろ好意的な話として、受け答えできた可能性もあったが、悪い事したかしれない。

 

その話の後に、その御仁がどうやら親しい方々にコーヒー豆を送っては、

随分その話で盛り上がっているらしかったし、今こうしてブログを書いている間にも、

Twitter 上にてその旨の話でのツイートが流れては盛り上がっているようにも見える所。

正直うらやますぃ。

 

ただしかしながら、その時の言い訳ではないのではあるが。

別にコーヒーを嫌う様になったという訳ではないのです。

 

むしろ過去、それを頂くことに関しては好意的だったからこそ、今現在に於いて体が受け付けなくなった。というのが正しい状況にあるのでありまする。

 

そういう状況に陥る事になった理由としては、いわゆる依存症状でありまする。

私は過去に依存を起こしては、それらなくして生きてけない位になっていました。

 

なんて事があって症状と戦うのが常に成っていた事がありまして、

コーヒーはその一角であった訳でありまする。残念なことに。

 

とここまで書いてきてしまったので、

せっかくなので自身が中毒になったものをば、とりあえずまとめてみる事にします。

 

ブログの記事にしておいて、自身がこれからもし別に中毒を起こすような事が起こった時に備えつつ、かつその時にどのような脱却の方法をとったか。

 

所謂、備忘録的に取っておくこととしまする。

 

 

1.嗜好飲料(コーヒーを含む、主にカフェイン質)

 

これには上記したコーヒーも含まれる。

之の他には、緑茶紅茶、さらにはコーラエナジードリンクの類も含まれる。

 

依存していたというからには今現在、これらの嗜好飲料を服用してしまうと、

胃腸の不調を致し、最悪丸一日寝込む事すらありまする。

 

ただし、元からそうだったのでないのは当然でありまして。

其れこそ毎日、常にといってもしょうがない位の勢いで摂取を続け、

それを取らなければ頭痛と、気分の憂鬱さが抜けなくなりまして。

 

流石に、嗜好飲料がないと頭痛と気分の悪さを解決できないのは異常。

といくら頭の鈍い私でも感づくものでありまして、どうにかこれを除かんとして徹底的な嗜好飲料断ちを行い始めたのが、実は2年前の事でありまして。

 

それ以来に嗜好飲料を飲んだのは2回だけであります。

 

その2回ともに、頭痛と気分の憂鬱さをぶり返して丸一日寝込む。

と、嗜好飲料断ちする前の症状の重いのが来るような体質になっていました。

 

とまあ、嗜好飲料に至りましてはこんな感じです。

ちなみに、特に飲んでいたのはやはりコーヒーで、

 

濃ゆくて、

苦くて、

あっつい、

地獄の様な玄人向けのコーヒーを1日中飲んでました。

はい。

 

 

2.タバコ。

こちらの依存具合もかなりのものだった、と考えていいと思う所で。

 

何せ、1箱買ったタバコの中身が1日で半分なくなる位でした。

 

しかも、私が当時吸っていたタバコの銘柄は、

黄色いパッケージに青い文字で”Peace”と書かれた銘柄でありまして。


之のボックスタイプのものでニコチン1.9mg、タール21mgと、

喫煙者でもなかなか吸わないであろう通好みのタバコを好んでいました。

 

ともなると、どれだけ依存していたかは考えるまでもないですね

 

ちなみに私の父も元喫煙者。

だが、さすがに私が吸ってたような煙草は吸えない。とのことでした。

 

タバコの依存症だったのはニート始める3年か2年前から、

きっかけ自体はむしゃくしゃして吸ってたら癖みたいになってしまってました

 

その時分は、まだニートになる前。

 

でしたので、

ギリギリ社会人の端くれとして働きに出られる心境でいられた時代でした。

 

その時分はまだ”Peace”も300円、今はもう560円になってて驚いてます。

 

 加えて社会人の端くれとして働きに出ていた。

という事は職場におけるストレスにさらされていた時分でもあったが為に。

 

余計にタバコへの依存度も増長せられる事請け合いでありまして、上記した一日に1箱の半分である所を超過し、

 

悪い日には2箱を一日で丸々吸いきってしまう

 

なんていう事態も云う程珍しい事ではなかったのも、本当の事でありまする。

 

下手しなくても危ない位、吸いまくっていたタバコなのではありまするが、

吸っていた時分では、私の脳裏にそれをやめるという選択肢は沸かず

 

どころか空気よりうまい。

といってタバコ吸って早死にするなら本望くらいの感覚であったのも確かでありまする。今考えると相当やばいですね。

 

そこまで依存していたタバコを止めるきっかけになったのは、

実はニートになってからでありまして。

 

単純にタバコ買うお金が無くなったからです。本当に。

 

なお、タバコ買うお金が無くなって吸えなくなったのは、

私がニート始めて初期、…ニート歴1~2年位の事ですので。

 

禁煙歴は既に5年以上ですので、今や完全に垢抜けて吸う気も起きない位です。

 

後余談ながら、この方法での禁煙は推奨しかねます

 

何故ならタバコなるは実の所、脳内の活動に必要な成分を取り込むのに必要な御仁もあり、それを絶たれて自我亡失、自制が利かなくなるような話が聞こえる事もあります。

 

なおかつ、私は急にタバコを絶ったが為、自身の中から活力がまるで起きなくなり

 

丸一日中部屋の中で横たわったまま、二日~三日過ごす。

 

なんて事が起こったりし、両親に随分心配をかけた事もございます。

 

今なら禁煙外来とかを訪ねるなり、

少しづつ本数を減らしていく方をば推奨いたす次第です。…本当危ないですから。

 

ご家族のある方とかになったら、お小遣い減らされるかしれませんし。(ア

 

 

と、ここまで。

私が依存したものと脱し方、およびその後を少しばかりまとめてみた次第でする。

 

誰しもが私の様になるとは言えませんが、少なからず依存するものもありましょう。

 

行き過ぎると大変なのはお分かりかと存じまする。

何事もほどほどに、丁度いいバランスがきっとあるでしょうから。

そこから外れないようにだけはご注意ください。

 

と一度依存するととことんまで行っちゃうニートから忠告をば。

 

…そういえばアルコール依存症にはなった事ない。下戸だからかな?

 

今回はこれくらいで。

 

 

499

For bad luck people !

今回の文字数、2677文字。

立ち位置を考える、考える、考える、考える。(Twitter , Blender 等々)

 

せっかくTwitter とか、Blender とか色々なツールを使って、

ニート脱却だー、なんて勢い込んで活動するのはいいのではあるものの。

 

どうにも私め、…別に直接言われた訳でもないのではありまするが、

どこででも味わってきた孤独感、…というより場違いな感じを受けている。

 

 

ふとあちらを見れば、

モデリングに躍起になっては美しくかつ個性的なモデリングでにぎわいを見せ。

 

ふとこちらを見れば、

VRChatなるでの活動の報告、或いはモデルの移行にてこずる声が聞こえつつ。

 

更に向こうを見れば、

Blender 、乃至は3Dソフトを触り始めて四苦八苦する苦悩が聞こえてくる。

 

 

私自体はといえば、

過去の経験則と始める前の前調査である程度、

思った通りの形(下手で作るのが超絶遅いが)はある程度作れ、

Blender の機能を使って自身が過去にやってみたかったが出来なかった事、

それを全力でやり、自身をニート的な精神から脱却せん。

 

…と本日も作業に没頭し、情報を収集し、腹に云いたい事が溜まれば、

ツイートなり、今ブログに打ち込んでいるような事をば致すのではありまする、…が。

 

 

少しばかり、活動に注力するあまり。

自身の活動の立ち位置がわからなくなってきました。

 

モデリングは基本的にYoutubeは動画を作るためのものであって、

Twitterモデリング大会の様な所に出せるか、…ともなると、そもそもモデリングする際の癖が為に参加する事は確実に無理としか言えない状況。

クォリティも低く、なおかつ練習する時間も、まるで取る事ができない。

 

VR云々の話如何は、見ている分にはいいものの。

私の手元のPC群は基本化石、故にそれを行えるだけのスペックは有していない。

加えてそれに参加するための機材も、そもそもに揃ってすらいない。

 

更には3D初心者を助けられるだけの知識があるか、

なんて自身に問いかけようにも、そもそもBlender自体は触り始めて、

本記事を執筆現在でもまだ2か月の段階、とても誰かに教えられるような事はない。

 

加えて3Dでアニメーションなりを作って、Youtubeに放流はするものの、

制作に要した時間と結果がついてきているか、なんて事を考えた時にはどうなのか、

なんて事も考えざるを得ない位には、悩ましい結果しか出せていない。

 

なおかつ、私以外でTwitter、およびYoutube にて動画を配信さる方々のものを見るにも、私の制作したるものに特徴があるとしたら、週三回のアップで曜日毎にやる事が変わる事、自身で声を当てている事、…位で後のすべては高い確率で低品質。

(そうでないと、自身で決めた締め切りに間に合わない事もありつつ。)

 

…、これだけ失点部分を上げてしまえば、さすがに察しの悪い私でも。

この活動を続けていくにも、このままでは駄目な事くらいわかるのでありまする。

 

 

ともすると、この状況を打開せんとした時に、私が取れうる手段は?

なんて事に今、頭を悩ませている。

一応ながら、こうだとどうだろう? と思い付きのいくつかを書き出しておく。

 

1.twitter は情報のハブ的存在になってみる?

今の所、Twitter は気になったツイートをばリツイし。

願わくば、リツイしたツイートから多くの人のヒントになりはしないか、

とかなり積極的にやっている。…が、人によってはこれがうるさい可能性もある。

と思うと、あまり積極的にやらない方が良いのでは、ともどこか思っている。

 

 

2.さらなるものを開拓してみる?

始めた当初は、TwitterYoutube で活動は一杯一杯になる。

…と思っていたのではありまする、確かにそうなってはいまするが。

云う程苦しい、というよりは、…そもそも時間がかかるレンダリングを、

複数所持できているPCらに分担させる事が出来ているため(それでも制限はされるが)

私ができる事自体が、時間のなさで奪われたり、なんて事自体は基本ない。

 

其れこそ、時間がなさすぎる事自体は避けられており、

そもそもその時間を確保できている事がなければ、ブログを始めるなんて事自体不可能だったのでありまするから、新たな開拓自体は寧ろ出来ているので選択からは除外。

 

 

3.もっと開拓してみる?

さすがにここまでやってしまうと、時間が幾らあっても足りなくなってしまう。

ブログを打ち込むにも時間はやはり掛かる。これはさすがになし。

もっと活動における時間の削減、かつ効率化が行えなければ現実味を帯びる事はない。

 

 

4.あえてネタキャラになってみる?

とっさに思いついてみたけども、なんだこれは?

とも思うのではありまするが、よく考えたら既になりえている可能性もあるのでは?

 

 

Twitter 上では、私めは自身のジンクスを既にツイート済み。

(知らない人の方が普通であろう事は明白ではあるけども)

 

基本的に私が行動に成功すると、私の周辺は調子を崩すか失敗する。

その真逆の反応が起こりうる事もある、…というのが私とその周辺に起こってきた事。

割と高確率でこれは現実になっている、…と考えざるを得ない事例が起き続けているのでそうと考えざるを得ないのではあるが、その旨のツイートをこれまでも幾度かしてきてしまっているので、…下手したら十二分にネタになってしまってる可能性がある。

 

 

あともう一つ。

私はツイッター上の名前の後に、リツイDMの練習台になってよい旨を追記している。

これは私が誰かとコミュニケーションをとってみたい、誰か人の話を聞いてみたい。

というTwitter を始めるまでにはなかった欲求に従って付け足したものでありまする。

…が云う程にそこまで誰かに話しかけられたり、なんて事はないのであって。

既にこの文言を名前の後に付けてしまっている時点ネタ扱いになってる可能性も。

 

 

更にもう一つ。

唯の挨拶キャラになり果ててる?

これは割とTwitter 始めた頃には、…元々は自身の引っ込み思案を勘案して、ツイートを行う為のきっかけにせんとして、そのようにしてきたのではありまするが。

もしやしたら、挨拶のついでに変な事を云うだけのキャラとして取られている可能性も十二分にあるのではなかろうか? と不安感を実は感じているので一応追記。

 

 

あえてもひとつだけ、これはかなり後ろ向きな考えだが。

既にただのウザいだけのキャラになり果てている?

…ただ、こう考える方が現実的にすら感じてならない事がある。

 

基本、私は話が長いのはこのブログのこの記事からも見てわかるだろうし、

そもそもTwitter とて文字数の限度ギリギリまで毎回使いきらんばかりでありまする。

 

その文字数の制限に堅苦しさを感じたのも、ブログを始めたきっかけな訳でありまするが、それでもTwitter の文字数ギリギリまで使って、ツイートしているのには変わりはなく、どちらにしても長話は基本Twitter 上ではあまり好ましくないかしれない。多分。

 

加えて、私は基本Twitter 上であろうとYoutube 上であろうと、

動画なりツイートなりは”高く評価したい”とする心情があって、

すぐに”高評価”なり”いいね”を押してしまう傾向にある。

(失礼かしれないが、たとえ出来が悪かろうと、相反する意見であろうと

 基本的には、それを発信した御仁に敬意を表したい、と考えるのが先走るので)

 

Youtube 上ではまだ影響は小さいかしれないが、

Twitter 上だと、フォロワーに”いいね”したものが流れてくる特徴がある所を考えるに、私が”いいね”したものが唐突に壁が如くに乱立し、不快をまき散らしている恐れもある。…のではないかと危惧しており、最近になってこれをやりすぎたのではなかろうか、と考えてはツイートの回数を自重した位でありまする。

実際に被害は出たのかは正直判らないが、やりすぎには注意しなければとは思っている。
後、リツイートも同様なので、これも自重を考えた方が良いのかしらん?

 

正直なところ、自身の考える処だけでは実態はわからないので、

聞いてみる旨をツイートしてみるのもありかしれないが、正直に返答が返ってくるのかすら、…正直あてにはできない、と考えている。

 

本当に上記通りに迷惑をかけていたら、そんな相手に付き合うような相手がそもそも存しているのか? …私はそれはないだろうと考えざるを得ない。

 

引っ込み思案からくる考え方かしれないが、あてにしたいのは確かながら。

 

そもそも、ここ十年ばかりもニートやってたのも、そもそもを辿れば人間社会に対して多くの疑惑を自身の中から払しょくできずに、(それ以外にも理由はあったが)

人間社会への疑念と失望、怨望を強く持ってしまい、まだそれを自身の中から洗い出せず、消せないままでいる事もある。世の誠実かしれない方々には本当に申し訳ないのではあるが、私には恐ろしくてどうしても人間をあてには出来ない。

 

折角コミュニケーションが取れるツールを扱う事にしておきながら、

長年積もり積もったものをそのままにしてしまったものもありながらも、

どうにも、長年そうしてきてしまった習慣、なのか性癖なのか、

なかなか払しょくできないのがこの際は悔やまれまする。

 

閑話休題

 

どうにも、自身の立ち位置が掴み切れない。

というよりは、そもそも自身はこうである。なんて断言できる人間とてどういう存在であろうか、私にはそういう人間が居たら疑いの心しか沸かないのではありまするが。

 

どちらにしても、このままでは解決はみえず。

なにより、それが定まっていようがいまいが、自身で決めたうんぬんかんぬんを行って自身をニートから脱却させん、とする活動自体は止める積もりはない事だけは、既に定めている事なのでありまする故、結局は現状が維持されるのみでありまする。

 

…、何故4000文字も使って考えようとして、結局現状維持とは。

どちらにしても、このブログを介してどうにか自身の立ち位置を明確にせんとする試みも失敗の模様。…時間を浪費するにとどまった。

 

この際は、あえてこの失敗をば記録しておく。

今後に、もしやしたらひょんな事でこの迷いが払しょくされる可能性もあるし、

なにより、私がいくら迷いに迷っていようが明日はやってくるので。

 

今回はこれくらいにしておく。

 

あ、そういえばアフィとかどうしようか考えてなかった。早い事何とかしないと。

 

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for bad luck people !

www.youtube.com

愛読書と朗読動画。

 

私のYoutube チャンネルは木曜日のコンテンツ。

この曜日には予定が狂ったりしない限りは、

Youtube 、或いはTwitter からGoogleドライブの共有で朗読動画を上げています。

 

これは元々は、私が本の虫だった時代の名残でありまして、

随分と好んで古いものを、…主に大正から昭和初期の本を好んで読んでいたという、

古く、硬く、何より先人達の含蓄ある言葉に心惹かれるという指向性があった為に、

ご覧の通りの、どこか堅い文体の文章を好んで読む内に、書くのもそれに近くなってしまう程に読み込んで、文を連ねるにもこの有様になった、…という訳であります。

 

先の日にTwitter を漂っていて、あるツイートを見るに。

 

話が長くて要約できない奴は阿保である。バッハ会長の事かな?

 

なるツイートを見てしまって、私はその類の阿保なのであろう。

 

と何処か納得してしまって落ち込んだのも記憶に新しく、なおかつ文を書き出すという行為に於いて、なるべくに自身の考えと言葉を余す所なく出したい。

 

と勢い込んでツイートも長く、このブログも文字だらけの長文で一杯になってしまうのは、もはや私の癖の様なものであって、その上で阿保なんだろうと考えざるを得ないのではあります。 大変に残念無念な事でありまする。

 

閑話休題

 

そんな私でも一応は人間で元々は本の虫で、やはりそこには好みなるものが存在しておりまして、とりあえず座右の書と好みの本をいくつか挙げてみまする。

 

 

まず最初に座右の書から、

 

努力論 幸田露伴

 

大体これで人生において必要な素養への足取りが掴める。

なんてずいぶん大きい事言いましたけど、私には大言壮語とも思っていないです。

 

いい結果を得るにも努力、自身を良くしたければ努力、

そしてその努力はなにより、努力している感覚を覚えぬままに出来るのが良い。

 

大体そんな感じでありながら、

努力するに際して、何を考えればよいのか、コツはあるのか、

という疑問に答えてくれるもので、個人的には多くの方々に勧めたい。

 

…ですが、難しい四字熟語や堅い文体で少し引かれるかもとも思う所ではありますが。

そこを差し引いても読む分には大変に役立つはず、としておきまする。

 

 

 次に、…かなり人を選ぶ可能性があるものの一応。

 

悪魔の辞典 アンブローズ・ビアス

 

皮肉はお好きですか? 私は基本嫌いなつもりなんですが。

 

この冊には出版当時の欧文化から見た世界情勢を、欧文化的な視点から、

欧文化的に激烈に皮肉った冊となっていて、世界に席巻している欧文化を見直さんとするなら読んでおく事をお勧めいたしたい所でありまする。

 

…ただ少し難解である事と、心が純真無垢なお方にはキツいかしれませんが。

 

 

あんまり多くを紹介しすぎてもあれ何で、次くらいで終わりにしときまする。

 

葉隠入門 三島由紀夫

 

武士道といふは、死ぬ事と見付けたり

 

の一文で知られる冊。

今は失われた「武士」なる存在。そしてまだ残っている「武士」なる存在の痕跡。

 

「武士」を考えると同時に人生、そして人間のあり方、徳とは何か、etc.

 

と人間の幸徳、身の納め方と多岐にわたった道徳書でありまする。

気のゆるみ、燃え尽きを心底感じている方にお勧めいたしたい冊です。

人を選ぶかしれませんが。(ア

 

 

と、…完全に現代人が読むべき冊か判らない有様。

…わかっています、なんとなく。

…でも私が好んで読むような本ってこんな感じなんです。

 

 ただ、私の様な社会の埃みたいな奴の性根を叩き伸ばすにはこれ位の、

所謂劇薬的なものがなければ、今の私とてこうしてブログ書けてたかどうか、

…正直怪しい所なのでありまする。はい。

 

と大体ここまでを前半として。(ア

 

読み物が好きだったんなら一人で読んでればいいじゃないか。

 

なんて言いたくなるであろう吾人は、この際は多数派であろうかと思われるのではありまするが。私めの様な人間からすると、自分自身の様な存在が周辺にいなさすぎて、

…ていうかいないのであっては、まさに、

 

自分の人生を自分の手で孤立せしめている=実質自害。

更に云えば人間は社会性生物、群れから外れれば其れは即ち、死を意味する。

 

こんな状況にあると云った所でありまして、このような状況に陥りたくてなったのでなくて、ただ単純に自身の感性に合うもの、服用して納得のいくもの、…そんなものを自分なりに探していたらこのような有様になり、自身の首を絞め続ける様相を呈したのが、今の私の現状でありまする。

 

其れ故、この問題を何とかしようと考えようものならば、

 

1.私が無理矢理にでも近年の流行り物へ接近を試みる。

2.近似の嗜好を持つ御仁方に接近を試みる。

 

とか色々方法はありそうで、私に実行できるかとなれば別問題

上記二つは基本的に、私が自発的に接近を試みる方法であって、

ニート歴10年の内向的な男が声を掛けてきたともなれば、

優しく、かつ世間的な意味合いで考えても事案発生としか言いようがない。

 

流石にそうなってしまっては活動云々とかいう以前の話になってしまうので、

なんとか上記の事案発生がなるべく起きないように、しかしどうにか私が個人から多数への接近ができない様でも、やはり私自身の寿命を縮め、自身の殻に閉じこもる様な事はなるべくに避けなければならない。とするとやはり何らかのアプローチが必要になるのでありまする。

 

とした時には、ない知恵を絞りだして考えついた方法。

それが、自身の感性と納得のいくものを、

まだ見ぬ方々の興味をくすぐって呼び寄せる方法へと考え方を変えた結果。

 

木曜日コンテンツ「下手な朗読シリーズ」(毎週20分位) - YouTube

drive.google.com

これらの朗読シリーズでありまする。

もちろんながら、私は別に朗読の専門家でもないニート風情。

検索して方法なり、コツなり、読み上げたものなりをネット上に放流して大丈夫そうなものだとかを検索、服用して実践する。

 

そうすることで事案発生の確率を減らしつつ、なおかつ目的である自身が人間社会から孤立することを防ごう、という魂胆でありまする。

 

唯、残念な事として。

 

出来る事ならこれを行う際には、

Youtube 一本でアップし続けられれば良かったのではありまするが、

個人のスマホがないためYoutube の認証を受けられずじまいな為。

 

15分以上のアップロードが出来ない。

ついでにカスタムサムネイルを設定できない。

 

という短所になる部分を回避できないのが弱み。

 

ではありまするが、まずもって行動をもって目的を達していく方が寛容。

何より、今のまま時間が過ぎていくだけの状況をこのままにしておくのも、

という事で、朗読を1週間に1~2本ほどを上げていく事も、自身の活動に組み入れている訳でありまする。

 

少しでも話せる相手が出来れば、

いやいや、せめて私の話を少しでも聞いてくれる人が出来ればいいな、とも思いつつ。

ただ私の愛読書って、努力論以外青空文庫にもないんですよね。

 

何時かこの活動を通して、ニート脱却できれば。

その時にはもっと色々出来るようになるはず、と勝手に信じ込みつつ。

 

それまでは慣れない事も頑張ってこなしてみるよりしょうがないかしらん。

とひとまずは頑張ってみる事に致しまする。

 

今回はこんな感じで。

 

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for bad luck people !

 

面と向かって話す=×、ツイート&ブログ=〇、自身で自発的に声を出す=△。

twitter とかはてなブログを始めた折、

なんか妙に人の話を聞きたいとか、自分の言葉を放流したいとかの欲求が出てきて、なんかよくわからない事になってきたので、この心境を吐き出してみて整理をつけてみようという試みを行ってみる。

 

私めは、元々を辿ればあがり症である事は間違いはないのであります。

 

余りにも酷いあがり症のおかげで小学の頃には、授業中に答える様に当てられ、

そのままマゴマゴしてる内に授業の時間が終わってしまい、職員室に呼び出されては説教を食らう、なんて事が複数回あった事を記憶している。

 

そしてそれは中学の終わり頃は、高校の入試に挑まんとする時期にまで、

治る様な予兆もまるで見えないままでありましたる。

 

中学の終わり頃には入試の練習という事で、半ば嫌々でもこれをやらねば、先行きに影響やらなんやらという事はさすがに察していたが為、死に物狂いで緊張に腹痛と戦い、面接中くらいの緊張でならある程度動けるようにはなりました。

 

だがしかし、それでもあがり症に変わりはなく、人前にでる、大勢の前で何かをやる、なんて事にでもなればやはり動けなくなるし、体調も悪くなるのが普通の事であるのは、今現在でも大して変わっていない事でありまする。

 

そんな自身の状況を分かっておきながら、何故上記にて話を聞いてみたいだの、

自身の言葉を放流してみたいだの考えられるのかなんて事を考えてみようものならば、やっぱり直接的でない交流の方法が、…Twitter や ブログ といったネットワーク上のツールのおかげとしか言いようがないのであります。

 

これらのツール、よくも考えてみると随分とあがり症が不安に感じて行動がとれなくなる要素を、かなり排除してくれている感がありまする。

 

まず、その場で急に言葉を紡いで吐き出すように、とされていない所。

大体私は急にそうするように言われるともすると、言葉が頭の中に浮かばない、言葉が浮かばないから周りを見て何を言えばいいか判らないまま思考停止。

なんて事がよくあった、…というより大体そこから別の不安を併発してアウトだった。

 

ただSNSの類ならいわゆる発言を出すまで、文字を打ち出すまでのラグを嫌でも取らなければ発言はできない、のが急に言葉を紡ぎだせない身からすると大変に助かる。

言葉を出す際の、可笑しな事を言ってしまったりしないか、間違った事を言ってしまったりしないか、という不安を文字を打ち出しながら考えて修正が利くのは、

言葉を使う時の不安の払しょくには、大きく貢献してくれる要素だと思いまする。

まあそれでもおかしいこといってるときあるんですが。

 

つぎ、大勢の視線の圧に精神が耐えられない事がない。(現実だと一人でも無理!)

私は上記とこれで思考停止、まごついて動けなくなるのが定石。

大体こちらで脳内ブルースクリーン状態から、背筋を瞬間冷却のツーコンボ。

 

 とまあ、SNSの類だとそもそも視線にさらされる事がないので、のびのびと言葉を紡ぐ事に神経を置けるので、助かりまくりんぐでありまする。

私個人的には、上記よりはこちらの利点の方が助かりまする。

 

つぎ、発言を後から見返せる。(これは一長一短の側面強め。)
先に確認して発言できればいい、とはいえそれでも可笑しな事を言ってしまう事もある所なので、後から確認できるという安心感もあるのが良い所かと。

ただ、ネット上だと取り返しのつかない発言なるものもありつつ、なおかつそれがネットの海に漂流してしまう事は留意の必要があるのが難点でありまする。

 

それでも、後から確認できれば訂正や謝罪がまだできる点で安心は可能かと。

 

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 とまあSNS使いだしてから、自身が話聞きたいとか吐き出したい。

なんて心が出てきたであろう要因はこんな感じかな、と。

 

ただし、SNSだけ使う分には確かに上記の通りの事が言えるかしれないけども、

 

私め、Youtube にまで手を出して、自身で3Dアニメーションを自作。

あまつさえ自身でそれにアフレコまでしてしまう始末をどう説明すればよいのか?

www.youtube.com と隙あらば宣伝。

私は確かに上がり症でありつつ、なおかつ世間的に目立つ行動なんて全くとった事すらないような人生を送ってきたというのに、なぜ30超えて今更こんな事してるのやら。

 

ある意味、ネット上に匿名的に活動できる形態。

SNSの類でなら、自身の姿かたちも声も上げなくていいものでありますが、

隠せたであろう声を、何故かそれをやるにつけてはネット上に露出して今現在も継続中でありまする。…昔の自分ではそれだって厭だったはずなのに。

 

人間生きてれば、案外やった事ない事への耐性も案外ついてくるのかもしれない。

 

自身の成長なのか、ただ鈍くなっただけなのか、順応できるようになったのか?

と、自身の変化に自身で驚くばかりでありまする。

 

後、ついでの話しながら。

 

人の話を聞いてみたい。

というこれ、自分なりにどうにか形にできないかしらん。と考え中でありまする。

 

というより、そもそもどのような御仁が私に話さんとするのか?

 

という疑問もありながらも、

まず形を作ってそれを広める形で話に来てもらうのが良いのか? 

自分の方から話を聞いてみたい御仁にアプローチしてみるのが良いか?

 

そもそも、どのような事を聞けばよろしいのやら?

これはなかなか自身の中でも考える必要性のありそうな事。

 

とりあえず今の所は、

Twitter の個人名の所に「リツイDMの練習台引き受け〼」などと打っておいて、

それっぽい意欲がある所は見せている、……つもりではある。

 

ただそれでも乗ってくれた方は、2~3回くらい(1か月くらいの間で)

あまり効果はないようであるし、なんか別の方法の模索も必要かしらん。

 

なにかしら別のツールが必要かしらん?

ともすると自身でそういう事やるなら、どこまでやっても自身は平気か?

と考えた時には、私は声の露出はしているものだから声出しはオーケー。

 

ただ姿を出すのはやめておきたい、さすがに恥ずかしいとかいう次元の話どころか、個人情報がとか、特定が怖いとかの話になってきてしまうのでこれはNG。

 

と、考えてみれば。

今の世の中にはアバター作っておいて云々の活用に利用する文化になりつつあるものが丁度あって、それを利用するのも手であろうか? 

 

そういえば Youtubeライブ配信で生で話しつつ、なんてのもあるんだし。

なんかそういうのも考えておいた方が、…この際は楽しくなるだろうか?考えとく。

 

話す事、発信する事に関して吐き出せるのはこんな感じかしらん。

どうにも文字打ってると、次々考えが浮かんだりするものだから取り止めがなくなってきていけない。自重した方が良いかしれない。

先の日も Twitter  でその手の事をやらかした感があるので。

 

今回はこれくらいに、もしこの記事を読んだ方で、

”話していいよ”という方おりましたら、気軽にコメントでも Twitter でも打ち込んでいってくれたらうれしい限りでありまする。

ただ私は話が長いので、そこだけ注意です。

 

では今回はこれくらいで。

 

 

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For bad luck people !!

創作をやりたい場合、何を知っておくべきか?00. 「人、自らの中にないものはアウトプットできない。」を実演してみる。

 

創作に必要なもの。

人によって、これは千差万別であろうかと思われる。

 

世界観が要ると云えば、キャラクターが要る、いい脚本が要る、

登場する小道具が要る、ものによっては強大な兵器が要る、

さらにものによっては物語に直接関与しない外部の人物を要する場合もある。

 

ただ個人的に思うのは、上記で上げてみたものは、

創作としてまとめられるまでの間に、材料として制作される。

或いは必要な要素として召集されるものであって、

それをまとまったものとして、見る側からすると関係があったりなかったり。

 

とこれもまた千差万別で大変にカオスな事この上ない。

…まあ今に始まったことでないので、特にどうこう言えるものでもないのですが。

 

それだけ大変に注目されうる要素を兼ね揃えたものを、

わたしは個人の制作でやろうとしていて、

なおかつそれを出す方法、場所等々の要素を自身の手で見つけ、

かつ手の届く範囲で始めんとすると、

上記に書き出したカオスに、さらにカオスを混ぜ込むような、

思考の渦巻きに身を投げ出すようなことを考えている。

 

とりあえず今回はそのカオスの渦巻きを、自身の備忘録的な意味も兼ねて書き出してみて、頭の整理をつけて、…また前に進める様に頑張れればいいなと思いまする。

 …もちろんここで吐き出してしまって、作る意欲がなくならないように。

 

今回はその第一回。という事にしときまする。何回やるかはわかりませんけど。

一応は、結論を自らで証明するために長々と長文を打ち続けてます。

とりま、結論だけ欲しい人は今回の記事の下の方まで(ア

 

 

1.インスパイア(影響したもの)

 

と、先んじて。

創作をする側がどのようなものを見た結果に、どうこうする話を作りました。

なんて事までよくよく取り上げられては、話のやり玉に挙げられる事。

 

漫画・アニメの神様ならディズニーがーとか、

エヴァンゲリオンの監督なら特撮ガーとか、

 

はて、私が頭の中で温めているそういうのって、私が見てきたものの何をもって火が入って煮詰めていく事になったのか。ちょっとこの場で吐き出してみる。

 

ここで吐き出しておけば、…パクろうってんじゃないけども…。

創作に迷った時とかの道しるべに出来るかしらん。と…ちょっと出してみる。

人間は自身の中にないものを吐き出すことはできない。…らしいのであしからず。

 

 

まず、特撮私が特に語れる話題かもしれない。

これは私からすると、子供のころからなじみのあるもの。

小さい頃から父がテレビの放送をビデオに撮っていて、しょっちゅう見ていた。

ウルトラマンゴジラガメラ、戦隊にメタルヒーロー等々。

 

仮面ライダーなんかは、中学のころにリアルタイムでクウガ見てたのが懐かしい所。

古代の遺跡からよみがえった云々と現代人の奮戦。

古代の戦士の力を受け継いだ、利他の精神に命を懸けられる男の”伝説”。

個人的にはいつまで経っても人にお勧めしたい仮面ライダーですねぇ。

言葉にするよりも見てもらいたい作品、ってことで一つ。(ア

 

メタルヒーローは近年、戦隊や仮面ライダーなどとのコラボが出てきてて、割と人々が思い出す機会も増えているようで、個人的には見てたメタルヒーローがなかなかでなくてやきもきしつつも、いつか出てきてくれるんじゃ、と何処か期待。

あ、ビーファイターとか難しいかな。今政治家の人いるし。当時買ったインプットマグナム、まだ持ってる。

後、印象に強いのはブルースワットとか、小学の時に小学生向け雑誌とかで特集やってて、生物に寄生した宇宙生物が体を食い破って出てくるとか、出てくる悪役として出てくる宇宙人とかのデザインがやたら不気味で怖かったのが印象的だった。

最近まで「Youtube」の東映特撮チャンネルで配信してて全話一気見、結構昔を思い出せたものです。

 

ウルトラマンあたりは、

初代の活躍をまとめた映画を父がビデオで撮っててずっと見てた。

ので懐古趣味とかに近くなっちゃうのですが、初代ウルトラマンなんかがなじみ深い。

次点でティガからの三部作をリアルタイムで見てたかな。

 

ゴジラあたりは平成のVSシリーズあたり。…と世代的には云いたいのですが。

これまたベータビデオに録画されてた初代ゴジラが印象に強いのです。

初代ゴジラの印象が、私のゴジラ象=初代ゴジラ、くらい言っても過言でない。

のでシンゴジラなんか見た時には、まさに個人的にはドンピシャの作品でした。

 

ガメラ、…あたりは作品点数が少ないので大体全部って言っていいかしれない。

ただ、小さき勇者は、…うん、何でもない。

世間的に言えば平成のガメラ2あたりが傑作、なんてされるのをよく見るのではありまする。…が私個人にとてもよく刺さったのはガメラ3邪神覚醒怪獣と人の関係、未知の者からの静かな浸食、怪獣側から見た人間への情の有無。…なんて所が特に。

 

後、最近見る機会があって印象的だったものとして。

月光仮面辺り。最近のウルトラマンもあれば、仮面ライダーでも印象の強いのが割と。

見た後で、見た以上の憂鬱に襲われなければ気分転換にもなるのだけれども。

 

つぎ、アニメ。

…ってなんかこれに至っては、

日本国民として生まれたら、基本的な素養になってしまいかねないような気がしてならないのですが。

 

一応、自身の中で特に影響強め。…と思われるものを上げてみます。

 

ガンダム、ここら辺も大体定番、なんて事も往々にしてあるのかしらん?

リアルタイムでならターンエーSEED種死AGEは飛んで、00あたりは見てた。

Gガン、Wあたりは年代的に幼いレベルで見れてない。

最近は「Youtube」で配信もあってみる機会もあるのが良い所かなと。

 

勇者ロボシリーズとかならファイバードあたりのおもちゃを持ってました。

勇者ロボシリーズでならジェイデッカーガオガイガーあたりが印象強め。

ガオガイガーは…、もう見てくれとしか言えない。いやマジで。

ジェイデッカー辺りは小学生頃位かな? ぽけーっと見ながら味方のロボがやられたり、合体変形に失敗したり、で一体全体なんでそんな事に? 

なんて思いながら見てて、実はロボが努力したり、悩んだりしてる事に気づいてからは個人的には一気に印象強くなった、なんていう思い出のある作品。

ただネット上じゃショタが女装したとか、ロボがホモっぽいとか言われてて正直心外。

 

後、これは私が3Dで動画上げてる分には参考に出来るものかしれないのだけど。

ポピーザぱフォーマーラクタ通りのステインあたりは見てた。

印象には正直残りやすい作風だと思う、ネタとしてかなり際どいかな?

 

そういえば私め、

ドラゴンボールとか、ポケモンとか、ドラえもん、…etc。

なんていう定番中の定番的な長い番組は、映画版とかでない限りあまり印象に残っていない。印象に残ったり、面白いもので多くの方がみている、ってものほど私はあまりよく見ていない節がありまする。…洗い出してて気づきました。…次。

 

 

 次、漫画。

 これは今、私が手元に残してるコミックスとかがそのまま当てはまりまする。

 

先ずは永井豪氏原作、デビルマンマジンガーZ

ここら辺は印象云々は言わずもがなかしれません。

てか、永井豪氏の著作ともなると印象が強すぎてどれ読んでも危なそうですね。

 

後、先のアニメの項でも上げたガンダム関連の漫画がいくつか。

又、特撮の項で上げた仮面ライダー関連の漫画もいくつか。

 

あとこれは知ってる人どれくらいいるのか、かつ人を選ぶかもしれないものを。

イダタツヒコ氏の誰かがカッコウと啼く、理不尽と世界の裏側と選択。

これも随分と脳髄にこびりついて離れないままです。

 

して、上記とは印象具合が全然違うのですが、

芦奈野ひとし氏のヨコハマ買い出し紀行カブのイサキあたりも好印象です。

どちらも、現実にある地名とかが出てきて、幻想的でありながら実生活に近いような、

でも遠くもある。とても身近にありそうな非日常感が印象的に感じています。

 

漫画はこれくらいに、次。

 

 

ラノベ、および小説、他読み物。

読み始めは中学頃。兄にこれが面白いと読まされたのが初めでした。

これもまだ手元にあるもので、偶に引っ張り出すことがありまする。

 って言っても今の時代のものでないので、ニッチ扱いを受けかねないのですが、

後で今回の「人、自らにないものはアウトプットできない」、

これを説明するためにもあえて吐き出し切ってみる。

 

先ずは榊一郎氏のスクラップド・プリンセス、加えてポリフォニカシリーズ全般

随分と長く読んでて、人と未知の存在なるものの存在との関わり方とか、随分と厳しくも優しく書かれていた、そんな印象です。

 

して次に、日日日氏著作は虫と眼球シリーズ

これもラノベ、…なんですけど。表紙と中身のギャップが天と地ほどある作品。

外側の表紙は、色が薄くてやたらデフォルメの利いたかわいいキャラクタの絵柄。

なんですけど中身はグロくて理不尽、神話にインスパイアされたと思われる記述で彩られて、救いはあるけど大変ハードな内容だったので、印象は言わずもがなでした。

 

ラノベはこんな感じ。ここからは小説、他読み物の類をば。

 

H・P・ラブクラフト全集。コズミックホラーの定番中の定番。

もちろん手元にあって、ラブクラフトの肖像の目がずっとこちらを見てます。

恐怖する対象の裏に潜むものやいかに、と考えるだけ恐ろしくなってくる。

そんなジャパニーズホラーとされるものに通ずるものを感じさせる著作集です。

個人的には「ダニッチの怪」が好みでする。

 

後ここからは少し中二病的になってくるのですが。

ダンテ・アリギエーリの神曲ゲーテファウスト新約聖書旧約聖書

あとアンブローズ・ビアス悪魔の辞典エドガー・アラン・ポー詩集

ウィリアム・ゴールディング蠅の王

 

日本のものだと。

幸田露伴夢野久作三島由紀夫柳田国男の著作が挙げられまする。

最近の著作家のもので云うなら、夢枕獏氏の著作が私の肌にはあっている様です。

 

 

次、ゲーム

最近は、…というより何年かという位には、気が荒んで出来なくなってしまったのですが、とりあえず私に影響を与えてないとは言えないはずなので、書き出してみる。

 

アーマードコアシリーズフロムソフトウェアの名作。

実は4で操作性が変わってしまってからめっきりやらなくなってしまいました。

でもそれまででも、兵器を駆って戦場を飛んでいく爽快感、自らの思い通りに出来る機械兵器、世界観をシリアスに彩る重厚なストーリー展開。ドはまりでした。

 

次、モンスターハンターシリーズ。いわずと知れたカプコンの名作。

実はこちらも4まで、実質ハンター引退してる。のですが一応。

晩年までずっとガンハンターでした。

 

後は幼少の頃にやってたマリオ、スターソルジャーカービィと定番のやつ。

 

 

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とここまで、大体4400文字くらい。

 

大体ここまでで、

私が何かしら創作を行おう、という時に影響してくるであろうものを上げてみました。

 

はてさて、まさかここまで一言一句見逃さずにじっくり読む人なんていたら、相当珍しいかしれません。近年の人間は文字を読むにも重要そうな所を読んで終わる。

(とりま、結論だけ欲しい人は今回の記事の下の方まで(ア)をみて、そうしたあなたですよ。

なんて事が普通かしれませんし、

…私がそもそも珍しいタイプの人間である可能性も捨てきれません。

 

ただし、何の意味もなく長文をつらつら打ち込んだわけでもありません。

 

考える処は、ここまでの長文を打ち込む底力となったものは何だったのか? ですよ。

 

人の人格を作るのは、それまでの記憶でありまする。

そして、人格が吐き出すいわゆる思想や哲学、それの源泉たるやはどこからやってくるのか? それもやはり記憶に他ならないのでありまする。

 

創作を行わんとする者には、それを下支えする記憶、経験を要する。という事です。

 

上記では私がただ、私が昔遊んでいた、或いは親しんでいたものを長々と書き連ねただけではあります。が、ただそれだけでも4000文字を軽く超えてしまう位の紹介文にすることができてしまう訳でありまする。

 

創作したいと思うなら、

私というニート風情が今回書き出したような自身に影響を与えたものをば、

…なんていう経験と記憶だけを書き出しただけでも、長くて読むのも嫌になってしまうような文字の羅列を構成できてしまうような、…それだけのものが必要になる。

 

と考えるのでありまする。はい、結論までが長すぎて申し訳ありません。ほんと。

 

それこそ今回のタイトルにつけておいた「人、自らにないものはアウトプットできない」という事を、説明するだけではわからない可能性も踏まえ、実践したらこうなっちゃったんです。なんかごめんなさい。

 

ただもちろん、創作をやろう。なんて考えた日には、

これだけでも足りない。

なんて事は考えるまでもない事くらいはわかるかと思いまする。

 

別に私め、創作をするには何があればいいか。を考えてやってみようというだけで、何かしら創作をして飯を食ってるわけでもありませんが。

 

これから何かしら、創作をやってみたい。

 

なんて方がいたりしたらば、それを行う前に何か考える必要性がないかと思った方に、少しでもヒントをあげられれば、なんていうのはおこがましいかしれませんが。

そういう事なのです、はい。

 

大体ここまでの結論をまとめたような名言もこの世には存在しまする。

 

汝己を知れ。

温故知新。

 

はたまた。ガンダムの生みの親、

富野由悠季氏もかなり似たような格言を残していたはず、と記憶しておりまする。

 

では今回はこれくらいで、もうすぐで5500文字行っちゃうので。

少しでも、誰かの、何かしらのヒントになりえますように。

 

 

499

for bad luck people !!